『闇の左手』は、アーシュラ・K・ル=グウィンが1969年に発表したSF小説です。舞台は、雪と氷に覆われた惑星ゲセン。そこには、男女の性が固定されていない人々が暮らしています。地球から来た使節ゲンリー・アイは、この星を惑星間の連合エクーメンに迎えるため、外交交渉に臨みます。著者の公式作品紹介
物語で問われるのは、異なる文化の相手を、どこまで理解できるかということです。相手の言葉が分かっても、何を大切にし、なぜそのように振る舞うのかまで分かるとは限りません。
ここでは原作小説のあらすじ、結末、題名の意味を解説します。前半はネタバレなしで紹介し、結末に触れる箇所から明示します。
目次
『闇の左手』のあらすじ【ネタバレなし】
ゲンリー・アイは、ゲセンのカルハイド王国で交渉を進めようとします。しかし、王国の政治や、人々の遠回しな意思の伝え方に戸惑います。協力者のエストラーベンさえ、信頼してよい相手なのか判断できません。
交渉は国家間の対立とも絡みます。アイが知識だけでは乗り越えられない壁にぶつかるなかで、エストラーベンとの関係が物語の中心になっていきます。日本語版の紹介
| 基本情報 | 内容 |
|---|---|
| 著者 | アーシュラ・K・ル=グウィン |
| 原題 | The Left Hand of Darkness |
| 原著刊行 | 1969年 |
| 日本語訳 | 小尾芙佐、ハヤカワ文庫SF |
| 文庫版のページ数 | 400ページ(出版社の掲載値) |
本作は1969年のネビュラ賞長篇部門と、1970年のヒューゴー賞長篇部門を受賞しています。ネビュラ賞の公式記録、ヒューゴー賞の公式記録
ゲセンとエクーメン、二つの国を整理する
| 名称・人物 | 物語での位置づけ |
|---|---|
| ゲセン〈冬〉 | 物語の舞台となる寒冷な惑星 |
| エクーメン | 惑星間の交流を担う連合。アイの派遣元 |
| カルハイド | アイが最初に交渉する王国 |
| オルゴレイン | カルハイドと対立する隣国 |
| ゲンリー・アイ | ゲセンへ派遣された地球人の使節 |
| エストラーベン | カルハイドの政治家。アイの重要な協力者 |
ゲセンは惑星の名で、カルハイドとオルゴレインはその星の国家です。この区別を押さえると、アイが誰と何を交渉しているのかが分かりやすくなります。
エクーメンも、単に他の星を支配する帝国として捉えると、交渉の意味がずれてしまいます。著者が公開している第10章では、アイ自身が、エクーメンの活動を通信や協力、知識の交換から説明しています。原作第10章の公開抜粋
ゲセン人の性と「ケメル」とは?
ゲセン人は、常に男性か女性の一方であるわけではありません。周期的に訪れる「ケメル」の時期に、男性または女性の性的な働きを持ちます。一人が、あるときには子を産み、別のときには相手の子の父となることもありえます。性の違いによって、出産する人としない人が生涯分かれる社会とは異なる設定です。著者が振り返るゲセンの設定
ここで考えたいのは、身体の設定と、その身体をどう受け止めるかの違いです。アイには、相手を男性か女性のどちらかに当てはめて理解しようとする癖があります。その分類がうまくいかないことは、相手が不誠実であることを意味しません。
読者も、アイの見方を通してゲセンを知ります。アイが説明しているから正しい、とそのまま受け取るより、説明しているアイ自身の前提にも目を向けると、二人のすれ違いが見えてきます。
原作小説の結末【ネタバレ】
アイはオルゴレインで囚われますが、エストラーベンに救出されます。二人は氷原を越えてカルハイドへ戻り、その旅で互いへの理解を深めます。しかし、エストラーベンは国境の警備兵に撃たれて死亡します。
カルハイドはエクーメンへの加盟を受け入れ、アイの任務は実を結びます。それでも、エストラーベンはその成果を共に迎えられません。最後にアイは、エストラーベンの故郷で家族と会います。結末の筋は原作小説の概要で確認できます。
任務の成功と、残された悲しみ
結末では、社会にとっての成果と、一人の人間が失ったものが重なっています。国交が進んだことだけを見れば成功ですが、そこに至るまでの関係は元に戻せません。
この二つを分けて読むと、終盤を単純な成功談として片づけにくくなります。理解し合えたことには価値があります。しかし、それによって死が取り消されるわけではありません。アイが家族に旅を伝える場面は、その人が生きていたことを誰にどう伝えるかという問いを残す、と読めます。
氷原を越える旅が重要なのはなぜですか?
二人は、相手の事情をすべて知ったうえで協力を始めるわけではありません。分からないことを残したまま、相手に頼らなければ生き延びられない状況に置かれます。
外交の場では、発言の意味や所属を疑うことが必要でした。旅では、それに加えて、目の前の相手がすることを受け止める必要が生まれます。信頼を、相手についての情報を集め終えた結果と考えるか、共に行動するなかで変わる関係と考えるか。この違いが、氷原の場面を読む手がかりになります。
『闇の左手』という題名の意味
題名は、ゲセンの詩にある、光と闇を左右の手として結びつける表現に由来します。題名の由来
そこから、光と闇を完全に切り離すのではなく、対になるものとして捉える読み方ができます。相手を理解することも、自分と同じになるよう求めることとは違います。アイとエストラーベンの関係に重ねるなら、違いを消さずに、相手と生きる道を探す題名だと読めます。
これは題名と物語を結びつけた解釈です。性、国家、明暗のすべてを一つの図式に当てはめる必要はありません。
理解できない相手との接触を、別の角度から考えたい場合は、レム『ソラリス』の原作解説も参考になります。
『闇の左手』は読みにくいですか?
固有名詞の多さや、語り手の交代、物語の間に挟まる伝承や調査記録に戸惑うことはあるでしょう。著者自身も、この作品の構造の複雑さと、進行のゆっくりしたところを振り返っています。著者による2017年の序文
最初から、国名・宗教・習慣をすべて覚えようとする必要はありません。まずは「誰が語っているか」「その人は誰を信じているか」に注目すると、二人の関係を追いやすくなります。国や習慣の説明も、その人が何を恐れ、何を守ろうとしているかと結びつけて読むと、人物の行動に戻って考えられます。
また、ゲンリー・アイの報告とエストラーベンの語りでは、同じ出来事の見え方が違います。どちらかをすぐ正解と決めず、相手についてまだ知らないことは何か、と考えながら読む方法があります。語りの交代や固有名詞への戸惑いは、読者レビューでも触れられています。
ハイニッシュ・ユニバースの他の作品を先に読む必要はありますか?
『闇の左手』から読み始めて大丈夫です。著者は、これらの作品が一続きの歴史を構成するシリーズではないと説明し、『闇の左手』『所有せざる人々』『世界の合言葉は森』について、読む順番は自由だとしています。著者による読む順番の説明
共通する宇宙の設定はありますが、前の巻を知らないために話が分からなくなる続篇として考える必要はありません。まず、この一冊に登場するアイとエストラーベンの関係を追えば、物語の中心に入れます。