『犬は勘定に入れません』は、消えた花瓶を探す歴史研究者が、ヴィクトリア朝の恋愛騒動と時間旅行の謎に巻き込まれるSFコメディです。休養するために過去へ逃げたはずなのに、主人公のネッドは歴史を守る仕事まで抱えてしまいます。

作者はコニー・ウィリス。正式な題名は『犬は勘定に入れません あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』です。大森望訳のハヤカワ文庫SFは上下巻で、上巻から下巻へ続く一つの長編です。早川書房の作品紹介

まず導入を説明し、後半では猫をめぐる事件と結末のネタバレに進みます。

あらすじ:花瓶探しに疲れたネッドが、過去へ休みに行きます

時間旅行が実用化された未来、オックスフォード大学の研究者たちは、戦災で失われたコヴェントリー大聖堂の復元に協力しています。

計画を進めるレイディ・シュラプネルは、細部まで再現するよう求めます。ネッドの担当は、大聖堂にあった「主教の鳥株」を見つけることです。これは鳥でも植物でもなく、花瓶についた呼び名です。

何度も時代を往復したネッドは、時間旅行による不調を起こします。休養を命じられても、未来には厳しい仕事を押し付けるシュラプネルがいます。そこでダンワージー教授は、彼を19世紀へ送ります。

しかし、ネッドには休むこと以外にも任務がありました。頭がぼんやりしたまま到着したため、誰に会い、何を戻すのかが、うまく思い出せません。下巻の公式紹介

最初が分かりにくいのは、なぜですか?

ネッド自身が、時間旅行ぼけで必要な情報を整理できていないからです。語り手が事情を分かった状態で説明してくれる導入ではありません。

初めは、次の三つを押さえておくと流れを追いやすくなります。

  • 花瓶を探しているのは、大聖堂を復元するためです。
  • 19世紀へ行くのは、未来の仕事から離れて休むためです。
  • 休養の裏で、過去へ戻すべきものに関する任務があります。

人物や会話を最初から全部暗記するより、ネッドが何を知らずに動いているのかを追うと、後から分かる事情をつなげやすくなります。導入の戸惑いも扱う書評

ネッド、ヴェリティ、犬と猫の関係

人物・動物 関係と役割
ネッド 花瓶を探す史学生で、物語の語り手です
ヴェリティ 過去で調査する史学生です。ネッドと一緒に歴史の問題を解こうとします
レイディ・シュラプネル 大聖堂の復元計画を進める責任者です
ダンワージー教授 時間旅行と調査を支え、ネッドを19世紀へ送ります
シリル テムズ川の旅に加わるブルドッグです
プリンセス・アージュマンド ヴェリティが救った猫で、時間旅行の問題に関わります

ネッドは19世紀で知り合ったテレンスたちと、テムズ川をボートで下ります。題名に犬が入っている通り、シリルも旅に加わります。ただし、事件を動かす重要な動物は猫でもあります。人物と川下りを紹介する豊崎由美の書評

猫を助けると、なぜ歴史の問題になるのですか?【ネタバレ】

ヴェリティは、過去で危険にさらされた猫を救い、未来へ連れてきます。本来、時間旅行では過去のものを簡単に持ち出せないと考えられていたため、これは技術の前提に関わる出来事です。

ネッドの任務は、猫を元の時代へ戻すことでした。ところが、人との出会いがずれ、歴史上で結ばれるはずの相手とは違う恋愛関係が生まれそうになります。

二人は、その変化が後の歴史へ影響するのを防ごうとします。修正のための行動がまた別の行き違いを招くので、猫を戻したら直ちに全部解決、という筋にはなりません。歴史のずれと猫の任務を扱う解説

結末では、歴史と花瓶はどうなりますか?

結末では、歴史のつながりと主教の鳥株の行方が明らかになります。 主人公たちが心配した通りに時空が崩壊して終わる物語ではありません。

二人は、自分たちが起こしたと思う変化を戻そうとします。しかし、時空の側にも、歴史の整合を保つ働きがあります。彼らがすべての人の行動を正確に管理しないと世界が壊れる、という理解が見直されます。

花瓶は、未来の2057年に所在が分かります。その発見は、時間旅行で物を持ち出すことについて、それまでの研究者の理解が十分ではなかったことにもつながります。終盤の経緯を記載した英語版の作品項目

終盤では、花瓶探し、恋愛、猫の移動という別々に見えた問題が、時間旅行のルールを見直す筋へまとまります。小さな用事を重ねるコメディと、過去の出来事を説明する謎解きが重なる結末です。

題名は『ボートの三人男』と関係がありますか?

あります。原題の To Say Nothing of the Dog は、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』の副題に由来します。訳者の公開あとがきでも、この関係が説明されています。

本作の川下りは、その先行作品を踏まえたものです。ただし、同じ作品の翻訳や、犬だけを主人公にした物語ではありません。ヴィクトリア朝の旅行小説に、未来の研究者と時間旅行の問題が入り込んでいます。大森望による姉妹作の紹介

『ボートの三人男』や本格ミステリを知っていると、作中の言及を拾いやすくなります。先にそれらを全部読まないと、猫を戻す任務や花瓶探しの筋が理解できないわけではありません。

『ドゥームズデイ・ブック』を先に読む必要はありますか?

同じオックスフォード史学部の時間旅行を扱いますが、中心となる学生と事件は違います。『犬は勘定に入れません』の筋は独立しているため、本作から読み始めることもできます。

『ドゥームズデイ・ブック』は、中世へ行ったキヴリンと疫病を扱う悲劇です。本作は、ネッドとヴェリティの恋愛騒動や取り違えを前面に出した喜劇です。同じ研究環境でも、同じ悲劇が繰り返される続編として読むと、雰囲気の違いに戸惑います。

シリーズを刊行順に追いたい場合は、『ドゥームズデイ・ブック』から本作へ、その後『ブラックアウト』『オール・クリア』へ進むと整理しやすくなります。

時空が自分で修正するなら、ネッドの行動は無意味ですか?

修正する働きがあることと、本人たちが初めからその働きを全部知っていることは別です。ネッドとヴェリティは、不完全な知識で問題を判断し、その中で行動します。

「研究者が考えているルール」と「実際に起きたこと」の違いを残して読むと、猫を持ち出せた理由や、花瓶の発見がなぜ重要なのかを追いやすくなります。最初の説明を、例外も見直しもない確定した法則として読むと、後半の謎解きが矛盾に見えてしまいます。

参照した資料