『ドゥームズデイ・ブック』は、中世へ歴史調査に出かけた学生と、未来から彼女を救おうとする教授を描く、コニー・ウィリスのSF小説です。二つの時代で疫病が広がり、帰還の手段も、人々の日常も失われていきます。

同名のイングランドの土地台帳について調べる記事ではありません。ここでは、大森望訳の小説を扱います。ハヤカワ文庫SFは上下巻で、上巻から下巻へ読む一つの長編です。早川書房の上巻・下巻

まず導入を紹介し、その後に中世で起きる出来事と結末のネタバレを解説します。

あらすじ:中世へ送られた学生が、帰る場所を見失います

2054年のオックスフォードでは、歴史学者が過去へ行き、自分の研究対象を直接観察できます。史学生のキヴリンも、14世紀のイングランドを調査するために時間旅行へ出かけます。

ところが、到着した彼女は病に倒れます。現地の人に助けられて命を取り留めますが、未来へ戻るために必要な出現地点が分からなくなってしまいます。

未来でも、時間旅行を担当した技術者が倒れます。キヴリンの到着を確認できないうちに、街で感染症が広がり、隔離が始まります。彼女を心配するダンワージー教授は、連絡も人員の確保も難しい状況で救出を進めようとします。文庫版の訳者あとがき

登場人物と、二つの時代の関係

人物 物語での役割
キヴリン 中世を調べる史学生です。現地の人々と暮らし、帰還の手がかりを探します
ダンワージー キヴリンの非公式の指導教授です。未来側で救出に奔走します
コリン 未来側でダンワージーを助ける少年です
ローシュ神父 中世でキヴリンと関わり、村の人々を支えます

未来の側がすぐ問題を解決し、その結果を中世へ伝えられる構造ではありません。どちらも必要な情報を得られず、相手の事情が分からないまま行動しています。

読むときは、「キヴリンは戻る地点を探している」「ダンワージーは彼女の居場所を突き止めようとしている」と、二人の目的を分けると流れを追いやすくなります。

中世で何が起きますか?【ネタバレ】

キヴリンが目指したのは1320年ですが、実際に着いたのは1348年です。予定していた調査とは違い、彼女は黒死病が広がる時代に入ってしまいます。

キヴリンが回復して村の暮らしに馴染んだ後、周囲の人々はペストに襲われます。未来の知識を持っていても、現地には十分な医療設備がなく、彼女一人で病を止められるわけでもありません。中世側の展開を扱う作品解説

初めは歴史を観察するつもりだったキヴリンが、その時代に生きる人を看病する側へ変わります。歴史の中で「疫病の犠牲者」と一括りにされる人々が、彼女にとっては、会話し、一緒に過ごした一人ひとりになるのです。

結末:キヴリンは未来へ帰れますか?

キヴリンは、ダンワージーとコリンによる救出を経て、元の時代へ帰還します。 ただし、村で失われた命が復活する結末ではありません。

中世では看病を続けても救えない人が増えていきます。未来側でもダンワージー自身が倒れ、救出は順調に進みません。それでも彼はキヴリンを探し続け、二つの物語が最後に接続します。終盤と救出に触れた書評

「主人公が戻れたか」という問いへの答えは、帰れた、です。一方、「悲劇を防げたか」という問いには、同じ答えを返せません。帰還の成功と、経験した喪失が並んで残るところに、この結末の重さがあります。

なぜ歴史を変えて人々を救わないのですか?

作中の時間旅行は、過去の好きな場面へ行き、都合の悪い歴史を自由に書き換えるための技術ではありません。歴史を改変できないという前提があります。

そのため、未来の知識を持ち込んで疫病を完全に防げば解決、という物語には進みません。キヴリンに残されるのは、目の前の人を看病し、その人が生きたことを記録する行動です。

ここを「タイムトラベルだから何でもやり直せる」と考えると、彼女が救えない理由が分かりにくくなります。過去へ行けることと、その結果を思いどおりに変えられることには、作中で制約があります。

題名の「ドゥームズデイ・ブック」の意味

題名は、ウィリアム1世が作らせた土地調査台帳を踏まえています。同時に、doomsdayの「最後の審判の日」「運命の日」という意味も重なります。これは訳者のあとがきでも説明されています。

小説では、キヴリンが中世で残す記録が重要です。最初は調査の報告であっても、人々の最期を知った後には、その人がどのように暮らしていたかを残すものになります。

数字だけで把握される歴史と、そこにいた人の名前や日常。その距離を埋める記録として題名を読むことができます。後半の意味付けは、物語から考えられる解釈です。

前半が長く感じられるのは、なぜですか?

電話がつながらない、担当者が見つからない、話が途中で止まる。未来側では、こうした小さな行き違いが繰り返されます。中世側も、帰還の手がかりを簡単には得られません。

ただし、その時間にキヴリンと村の人々との関係が描かれます。後半の犠牲を、初めて登場した誰かの死として読むか、生活を知った人の死として読むかでは、受け止め方が変わります。

この構成は、時間旅行の仕組みを次々と披露するSFより、人物の関係と、届かない情報が生む緊張を重視しています。情報の行き違いに注目した書評

受賞歴と、オックスフォード史学部シリーズの読む順番

原作は1992年に発表され、ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞を受賞しています。日本語文庫版は上下巻ですが、別々の物語ではありません。

同じ時間旅行の研究者たちを扱う作品には、『犬は勘定に入れません』『ブラックアウト』『オール・クリア』があります。『犬は勘定に入れません』は別の学生が中心となる喜劇で、キヴリンの旅の直接の続きを描く作品ではありません。『ブラックアウト』と『オール・クリア』は、前者から後者へ続けて読む関係です。

まず本作の上下巻を読み、その後に同じシリーズへ進む順番が分かりやすいです。別の時間旅行作品を比べたい場合は、人生をやり直す『リプレイ』のあらすじと結末も参考になります。

二つの時代の疫病は、同じ病気ですか?

未来のオックスフォードで広がるインフルエンザと、中世の村を襲うペストは別です。また、キヴリンが到着直後に倒れる病と、その後に村で広がる黒死病も、同じ出来事としてまとめない方が筋を追えます。

物語では「二つの時代で人が倒れる」という対応がありますが、そこから、過去のペストが時間旅行で未来へ運ばれた、と結論付けることはできません。出来事が並べて描かれることと、病気の原因が同じであることを区別すると、調査の失敗から看病と救出へ進む流れが分かりやすくなります。

参照した資料