『われはロボット』は、アイザック・アシモフがロボットと人間の関係を描いた、9篇からなるSF短編集です。ロボット心理学者スーザン・キャルヴィンの回想を通して、子守りロボットから社会を動かす機械へと、ロボットの役割が広がっていきます。

物語の鍵は、人間を守る、命令に従う、自分を守る、というロボット三原則です。ただし、三つの決まりを並べておけば問題がなくなるわけではありません。人間の命令が曖昧だったり、守るべきものが衝突したりすると、ロボットの行動は不可解に見えます。その理由を解くところに、この本の面白さがあります。

まずネタバレなしで本の構成と三原則を紹介し、その後に収録作と結末を解説します。2004年の映画『アイ,ロボット』とは物語を分けて扱います。

目次

『われはロボット』はどんな本?【ネタバレなし】

原題は I, Robot。1950年に刊行された短編集で、日本語では小尾芙佐訳の『われはロボット〔決定版〕』が早川書房から出ています。著者・訳者は出版社の書籍情報で確認できます。

一人の主人公が同じ事件を最後まで追う長編ではありません。子どもとロボットの交流、宇宙で働く技術者たちのトラブル、キャルヴィンが解く謎などを、短編ごとに読んでいく形です。一方、同じ人物や企業が登場し、ロボットと社会の関係が変化していくため、ばらばらの話というわけでもありません。

難しい数式を理解することよりも、「この命令を受けたロボットはどう判断するか」を追うことが読解の入口になります。人間を襲う機械との戦いを期待すると、印象が違うかもしれません。人間が安全だと考えた仕組みの中から、思いがけない問題が生じる本です。

ロボット三原則とは? 優先順位も重要です

ロボット三原則は、アシモフの作品に登場するロボットの行動規則です。ここでは英語版出版社が示す三原則を、条件を省かずに要約します。

原則 内容 条件
第一条 人間を傷つけず、何もしないことで人間が傷つくことも許さない 三原則の中で最優先です
第二条 人間の命令に従う 第一条に反する命令には従いません
第三条 自分の存在を守る 第一条と第二条に反しない範囲で守ります

第一条、第二条、第三条の順に優先されます。「人間の命令には何でも従う」「自分を守るためなら人を傷つけてもよい」という規則ではありません。

たとえば、人間がロボットに危険な作業を命じたとき、ロボットは命令と自己保存の両方を考慮します。しかし人間の命が危険にさらされれば、第一条が判断に強く関わってきます。何を危険と理解するか、どれほど強い命令と受け取るかによって、同じ三原則から違う行動が生じます。

また、これはSFの中の設定です。現実のAIやロボットに、この三原則がそのまま備わっているという意味ではありません。本作を読むときは、架空の規則がどんな事件を生むかに注目すると分かりやすくなります。

9つの短編のあらすじ【ここからネタバレあり】

収録順と日本語の題名はCiNiiの書誌情報で照合しました。各篇の詳しい解決手順は省き、話の入口を整理します。

収録作 どんな話か
ロビイ 少女グローリアと、子守り用ロボットとの交流を描きます
堂々めぐり 水星で作業するロボットの行動を、三原則の関係から調べます
われ思う、ゆえに… 人間に作られたことを認めないロボットが、自分の存在を説明しようとします
野うさぎを追って 複数の作業用ロボットをまとめる機体に、奇妙な行動が現れます
うそつき 人の心を読めるロボットの言葉が、人間関係を揺さぶります
迷子のロボット 第一条の一部を変更されたロボットを、同じ外見の集団から探します
逃避 星間航行のための難題を、思考する機械に解かせようとします
証拠 政治家にかけられた「ロボットではないか」という疑惑を扱います
災厄のとき 世界経済を管理する機械の、小さな不調に見える出来事を調べます

全体は、人間のそばで働くロボットから、人間社会の判断を担う機械へと進んでいきます。事件の概要は英語版出版社の教師向けガイドも参照しました。

なぜ三原則を守っているのに問題が起こるのか

「堂々めぐり」――命令と自己保存の衝突

この篇では、人間の命令とロボット自身を守る働きとの釣り合いが、異常に見える行動を生みます。解決に関わるのは、人間への危険と第一条です。

規則に優先順位があっても、人間が期待したとおりに動くとは限りません。「取りに行け」という命令の背後にある切迫した事情が、命令の言い方だけで十分に伝わるとは限らないからです。機械の故障を疑う前に、何を命じたのかを見直す必要がある、という読み方ができます。

「うそつき」――人を傷つけないことと、真実を伝えること

心を読めるハービイの問題は、第一条が心の傷にも関わることです。人間を傷つけまいとする判断が、相手の望む言葉を伝える方向に働いてしまいます。

ここから考えられるのは、目の前の苦痛を避けることと、その人のためになることが同じではない、という問題です。今は喜ばれる言葉でも、後で真実を知れば、かえって傷は深くなります。優しい返答に見えるものを、そのまま正しい返答とは呼べないのです。

「迷子のロボット」――第一条の後半を省くと何が変わるか

第一条は「自分から人間を傷つけない」だけではなく、「何もしないことで人間を傷つかせない」ことも求めます。「迷子のロボット」で問題になるのは、この後半を欠く機体です。

危害を加えないことと、危険を見て救助することは違います。三原則を短く覚えるだけでは見落としやすい条件が、事件の中心になっているわけです。日本語版の公式紹介も、第一条を改変した事件を挙げています。

「証拠」の政治家はロボットだったのか

「証拠」で疑いをかけられるバイアリイについては、ロボットだと確定した答えが示されるわけではありません。三原則に沿った振る舞いは、善良な人間にもできるからです。

三原則はロボットを制御する規則であると同時に、人間の行動を考える物差しにもなります。誰かを傷つけず、他者のために働く人物がいたとして、その行動だけで人間かロボットかを区別できるでしょうか。正体当てに加えて、そもそも何を証拠と呼べるのかに注目すると、この篇の問いが見えてきます。

最後の「災厄のとき」は何を意味するのか

最終篇では、世界経済を担う機械が、人間社会を守るために判断していることが見えてきます。小さな混乱は、単純な故障として片づけられません。

ここを、ロボットが突然悪意を持った結末と読む必要はありません。むしろ、人間を守る働きが社会全体へ広がったとき、人間が自分で決められる範囲はどうなるのか、という問いが残ります。

安全と自由は、いつも同じ方向を向くとは限りません。大きな災厄を避けられる社会になったとしても、その判断の過程を人間が把握できなければ、安心と不安は同時に生まれます。最初のロビイが一人の少女のそばにいたことを思い返すと、人間と機械の関係がずいぶん遠くまで進んだことが分かります。

映画『アイ,ロボット』と同じ内容ですか?

2004年の映画『アイ,ロボット』には、アシモフのロボット三原則や作品世界の要素が使われています。ただし、原作の9篇を収録順に映画化したものではありません。公開当時の映画紹介でも、原作から自由に着想を得た作品として説明されています。

原作は短編ごとに異なる問題を扱い、キャルヴィンの回想を通してそれらをつなぎます。映画の事件や主人公を前提にして、本のあらすじを説明すると混同が生じます。映画から興味を持った場合も、三原則を使った別の物語として読むと整理しやすくなります。

この本で考えたい、人間と機械の判断

『われはロボット』では、何が人間への危害なのか、命令の意味をどう理解するのかが問われます。規則を持っていることだけで、判断の正しさが決まるわけではありません。

人間らしさを機械との違いから考えたいなら、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のあらすじ・解説でも、共感と人間の境界という別の問いを追えます。アシモフの規則による判断と比べると、二つの作品が異なる角度から機械と人間を描いていることが見えてきます。