H・G・ウェルズの『タイムマシン』は、科学者が西暦802701年へ旅し、地上のエロイと地下のモーロックという二つの種族に分かれた人類を目撃する小説です。未来の科学を楽しむ冒険であると同時に、文明が進歩すれば人間も幸せになるのかを問いかけます。

対象は原作小説 The Time Machine です。「エロイとモーロックの違い」以降では、未来の秘密と結末に触れます。 映画のあらすじとは区別して紹介します。

ネタバレなしのあらすじ

時間旅行者と呼ばれる人物が、友人たちの前で、時間を移動する機械の理論を語ります。そして実際に、自分の発明したタイムマシンで遠い未来へ向かいます。

西暦802701年の世界で彼が出会うのは、小柄で美しい人々エロイです。彼らは地上で穏やかに暮らしていますが、時間旅行者が期待した、高度な知性を持つ未来の人類とは違っていました。

さらに、置いておいたタイムマシンが消えてしまいます。自分の時代へ戻るため、時間旅行者は、この世界の隠された仕組みを調べ始めます。

角川文庫の作品紹介でも、80万年後から帰った時間旅行者が体験を語る物語として紹介されています。

主な人物と種族

人物・種族 物語での役割
時間旅行者 タイムマシンを発明した人物。未来を訪れ、経験を友人たちに語ります
語り手の「私」 時間旅行者の話を聞く人物。時間旅行者本人とは別です
エロイ(イーロイ) 地上に暮らす小柄な人々。訳によって表記が異なります
モーロック 地下に暮らし、暗闇の中で活動する種族です
ウィーナ 時間旅行者に助けられ、彼と親しくなるエロイの女性です

物語は、時間旅行者が体験したことを語り、それを「私」が伝える形で進みます。未来の様子を説明する文章にも、時間旅行者自身の見立てが含まれています。

エロイとモーロックの違い【ネタバレ】

エロイは地上で果実を食べ、労働することなく暮らしています。一方、モーロックは地下に住み、機械を動かしています。モーロックの仕事が、地上の生活を支えています。

時間旅行者は、かつての富裕層と労働者の隔たりが広がり、長い年月を経て人類が二つに分かれたのではないかと考えます。社会の階級差が、生活環境や身体の違いにまで及んだという見立てです。

ところが、関係は「主人と労働者」のままではありません。モーロックはエロイを食べています。地上で安楽に暮らすエロイは、地下の人々に支えられると同時に、彼らの食料にもなっています。

ここで注意したいのは、過去の分断から現在の姿に至る説明が、時間旅行者の推測として語られる点です。未来の歴史がすべて記録から証明されているわけではありません。この推測と発見の過程は、英語原作の第IX章で確認できます。

結末までのあらすじ【ネタバレ】

ウィーナを助け、マシンを探す

時間旅行者は、川で溺れたウィーナを助けます。彼女は時間旅行者になつき、二人は行動を共にするようになります。

タイムマシンは、白いスフィンクスの台座の中に隠されています。時間旅行者はモーロックに対抗する道具を求め、昔の博物館を探索します。

しかし、森での襲撃と火災の後、ウィーナを見失います。彼女を見つけて救い出すことはできず、時間旅行者は自分の時代へ連れ帰れません。

さらに遠い未来で、衰えていく地球を見る

タイムマシンを取り戻した彼は、さらに遠い未来へ進みます。三千万年以上先の地球では、太陽の姿も生物の様子も変わり、生命が衰えていく光景が広がっています。

この終盤は、エロイとモーロックの争いだけで物語が終わらないことを示します。人間社会の盛衰よりも長い時間の中で、地球そのものの行く末が描かれます。描写は英語原作の第XIV章で確認できます。

最後に時間旅行者はどこへ行ったのでしょうか?

時間旅行者は一度、自分の時代へ帰り、友人たちに体験を語ります。その翌日、カメラと荷物を持って再び旅立ちます。しかし、その後は戻ってきません。

最後の旅の行き先は、原作では明らかになりません。 ウィーナを救いに戻ったのではないか、と考えることはできますが、それを確定した結末として説明することはできません。

語り手の手元には、ウィーナが時間旅行者に渡した花が残ります。旅先についての謎と、人間の優しさが残るという余韻は、分けて読むと分かりやすくなります。最後の旅と花は原作の終章・エピローグに描かれています。

『タイムマシン』は何を描いた小説なのでしょうか?

一つの読み方は、階級社会への批判です。豊かな人々の快適さを、見えない場所に押し込められた人々が支える。その分断を遠い未来へ延ばすことで、現在の暮らしを不気味な姿で見せていると読めます。

もう一つは、進化と進歩を同じものと考えない見方です。時間が経てば、人間が必ず賢く、強くなるわけではありません。暮らす環境が変われば、能力や生活の仕方も変わります。

ただし、物語の世界を現実の人類進化の予測として、そのまま受け取る必要はありません。時間旅行者の推測も含めて、未来を見ることで現在を問い直す小説です。

そして、ウィーナの花が残るため、最後に示されるのは衰退だけではありません。知性や力が失われても、感謝や思いやりが存在したことを、語り手は小さな花から受け取っています。

2002年の映画と原作の違い

2002年版映画では、科学者アレクサンダーが失った恋人エマを救うため、過去を変えようとします。その動機と人物設定を、原作の時間旅行者の説明に持ち込むと混乱します。

原作は、名前を明かされない時間旅行者の体験と、未来の社会の姿を中心にしています。恋人を救うための過去の変更が、原作の発明の動機として描かれているわけではありません。映画の設定は、東京創元社の映画紹介で確認できます。

原作を読むには

日本語版は、石川年訳の角川文庫版などがあります。書籍を探すときは、著者がH・G・ウェルズであることと、訳者を確認すると、同じ題名の別作品との取り違えを避けられます。

山形浩生訳は、プロジェクト杉田玄白で全文公開されています。時間旅行者が説明を組み立て直していく過程や、最後に残る花の意味を、本文で確かめたいときにも使えます。