『スローターハウス5』は、カート・ヴォネガットが自身のドレスデン爆撃の体験を背景に書いた、1969年刊行の小説です。主人公ビリー・ピルグリムは、自分の一生を順番どおりに体験できず、戦時中、戦後の家庭、異星の動物園を行き来します。
時間旅行の仕組みを解く冒険というより、戦争を生き延びた人の時間が、戦後もまっすぐには進まない物語です。原作の最後は、戦争が終わったドレスデンで鳥の声が響く場面です。 ビリーの死は作中に描かれますが、それが小説の末尾ではありません。
以下では、ネタバレなしの概要の後に、一生の流れと結末を整理します。
あらすじ|ネタバレなし
ビリーは第二次世界大戦中、ドイツ軍の捕虜となり、ドレスデンに連れていかれます。彼が収容されるのは、第五屠殺場と呼ばれる施設です。
一方、戦後のビリーは結婚し、視力検査の仕事で成功しています。さらに彼は、トラルファマドール星人にさらわれ、異星の動物園で暮らしたと語ります。
物語は、この三つの世界を時系列に沿わず移動します。ビリーは行き先を自由に決めて過去を修正する人物ではありません。幸福な家庭にいても、再び戦場の時間に戻ってしまいます。
タイトルの「スローターハウス5」とは何ですか?
英語のslaughterhouseは屠殺場を意味します。題名の5は、ビリーたちが収容される第五屠殺場の番号です。五つの屠殺場を巡る物語、という意味ではありません。
ドレスデンが爆撃されたとき、ビリーたちはこの施設の地下にいて命をつなぎます。題名は、生き延びた場所を指すと同時に、街で起きた大量の死を連想させるものとして読めます。
ここから原作小説の結末を含みます。
原作のあらすじを時系列で整理します
以下の表は理解のための並べ直しです。原作がこの順番で進むわけではありません。
| 時間・場所 | 主な出来事 | 読むときのポイント |
|---|---|---|
| 第二次世界大戦の欧州 | 捕虜となり、ドレスデン爆撃を生き延びます | 英雄的な活躍より、生存と死の不釣り合いが描かれます |
| 戦後の米国 | 結婚、仕事の成功、飛行機事故、妻の死を経験します | 安定した生活の中にも戦時の経験が戻ってきます |
| トラルファマドール | 動物園で展示され、星人の時間観を知ります | 地球の年代順だけでは位置づけにくい経験です |
| ビリーが知る将来 | 自分の死を予見します | 未来を知っても、好きな結末に変える話ではありません |
1.捕虜となり、ドレスデン爆撃を生き延びます
ビリーは戦争で勇敢に敵を倒す英雄ではありません。仲間との関係もうまくいかず、捕虜として移送されます。屠殺場の地下で爆撃を生き延びた後には、街の死体を処理する作業に動員されます。
仲間のエドガー・ダービーは、ティーポットを盗んだために処刑されます。街で多くの命が失われた一方、一つの盗みには厳しい刑罰が下るという不釣り合いが描かれます。
2.戦後の成功も、過去を消してはくれません
帰国したビリーは結婚し、子供をもうけ、仕事で成功します。しかし彼の経験の中では、平穏な日々と戦場が切り離されていません。
飛行機事故では生き残りますが、病院に向かう妻ヴァレンシアを事故で失います。戦争から帰れば、そこから幸福な人生が一本につながる、という筋書きにはなりません。
3.異星の動物園で、別の時間観を知ります
ビリーはトラルファマドールで、女優モンタナ・ワイルドハックとともに展示されます。星人たちは、過去・現在・未来を一続きの順番ではなく、同時に存在するものとして捉えます。
誰かがある瞬間に死んでいても、その人が生きている別の瞬間はなくなりません。ビリーは、この考え方を受け入れていきます。
星人の時間観では、未来もすでにあるため、自由な選択によって歴史を変えるという発想が成立しません。ビリーが時間を行き来することと、出来事を支配できることは別なのです。
結末|ビリーの死と小説の最後は別です
ビリーは、自分が将来殺されることを知っています。戦時中からの恨みを引き継いだポール・ラザロが、彼を殺す手配をするのです。この死も、ビリーの一生の一場面として語られます。
しかし、小説はビリーの死を最後に置いて終わるわけではありません。末尾は再び戦争の終わったドレスデンに戻り、鳥の鳴き声が残ります。
戦争の惨状に、教訓や大きな勝利の言葉を与えて締めくくる結末ではありません。人間の言葉でまとめられないものの前に、鳥の声が響く終わり方として読めます。
「そういうものだ」は何を意味するのでしょうか?
作中では、死が語られるたびに「そういうものだ」(So it goes)という言葉が繰り返されます。まず意味の土台になるのは、死んだ瞬間があっても、生きている瞬間まで失われるわけではないという星人の時間観です。
ただし、この言葉を「人の死はどうでもいい」という作者の結論と同一視する必要はありません。同じ短い言葉が重なるほど、その背後の死の多さが目立ってきます。
避けられないものを受け入れて自分を守る言葉としても、受け入れるしかないほどの苦痛を示す言葉としても読むことができます。
時間旅行は本当に起きているのでしょうか?
物語の表面では、ビリーは時間を移動し、異星に連れていかれます。一方、戦争の記憶や、彼が読むSF作品との関係から、その経験を心の中の出来事として読む余地もあります。
どちらか一つを確定すればすべてが解ける、という仕掛けではありません。時間旅行として読んでも、記憶の反復として読んでも、ビリーが過去の惨事から簡単に離れられないことは変わりません。
原作小説と映画の違いを調べるとき
原作小説は1969年、ジョージ・ロイ・ヒル監督の映画は1972年の作品です。検索結果には両方の紹介が混ざっています。
原作の冒頭では、戦争の本を書こうとする語り手自身の話が置かれます。ビリーの物語に加え、「この戦争をどう書けばよいのか」という問題も、小説の中に含まれているのです。映画の場面だけを基準に原作の末尾や構成を説明すると、この語り手の位置を見失いやすくなります。
日本語版は伊藤典夫訳のハヤカワ文庫SFがあります。題名だけで媒体が分からない場合は、著者名と訳者名、あるいは監督名を確認してください。