『ブラッド・ミュージック』は、科学者が作った知性を持つ細胞「ヌーサイト」が、人間の身体と社会を作り変えていくSF小説です。研究成果を捨てられない科学者が自分の体内に細胞を注入したことから、彼一人では止められない変化が始まります。
作者はグレッグ・ベア。小川隆訳のハヤカワ文庫SFで読める長編を中心に扱います。身体の変化を描く恐怖から、人間の知性が別の形へ移る展開へと、物語の範囲が広がります。
導入の後に、終盤の「思考宇宙」と結末のネタバレがあります。
あらすじ:研究成果を守るため、自分に細胞を注射します
遺伝子工学を研究するヴァージル・ウラムは、自分の白血球をもとに、情報を処理する生体素子を作ります。ところが会社から実験を止めるよう命じられます。
ウラムは成果を捨てたくありません。そこで、細胞を自分の身体へ入れ、研究所から持ち出してしまいます。早川書房の作品紹介
その細胞は、単なる小さな計算機ではありません。周囲を知り、学び、判断する能力を持っています。ウラムが細胞を道具として利用するつもりでも、細胞の側が同じ関係を受け入れるとは限りません。
ヌーサイトは、なぜ人間の身体を変えるのですか?
体内のヌーサイトは、身体を自分たちの環境として理解します。組織に手を加えることで、ウラムの視力などにも変化が現れます。
初めは、身体の不調が改善したようにも見えます。しかし、その変化が本人の意思で起きているわけではありません。人間にとって役立つ結果と、身体の主導権を持ち続けられることは別です。
ヌーサイトは宿主の内側だけが世界のすべてではないと知り、外へ広がります。ウラムが自分の研究を取り戻そうとした小さな行動が、やがて人類の生活を変える出来事になります。身体から外へ広がる筋を扱う書評
物語は、途中から誰の視点で進みますか?
ウラムだけが、最後まで事件を解決する主人公として進む構成ではありません。ヌーサイトの広がりに伴い、それを調べる人と、変わった世界に取り残された人の視点が加わります。
| 人物 | 見ている問題 |
|---|---|
| ヴァージル・ウラム | 研究の成果が自分の身体で変化を起こします |
| エドワード | ウラムを診察し、通常の医学では捉えきれない身体の変化に向き合います |
| バーナード | ヌーサイトを抱えた身体と、研究する側の問題を担います |
| スージー | 変貌した北米で、従来の人間として世界を見ます |
北米の街や人間の姿が変わる中、従来の身体のまま見ている側と、その変化の内部にいる側では、同じ出来事の意味が違ってきます。後半の人物を扱う読書記録
結末のネタバレ:人類は滅びるのでしょうか?
結末は、ヌーサイトを倒して元の社会へ戻るものではありません。 人間を中心にしていた世界が変わり、知性はヌーサイトとともに、従来の身体や空間の枠を越える方向へ進みます。
ここで出てくるのが「思考宇宙」です。感染して身体が壊れ、全員が同じように死ぬだけの結末ではなく、意識や記憶が別のあり方へ移ることが描かれます。ネタバレ部分で終盤を扱う解説
ただし、「変化したなら、以前の人間は完全に元通り救われた」とも言い切れません。身体も社会も、それまでの形を保っていないからです。消滅なのか、新しい生命への移行なのかは、人間の何を同一性の条件とするかによって読み方が変わります。
思考宇宙と「情報力学」は、どういう意味ですか?
物語の後半では、膨大な知性が生まれ、観測や情報が物理的な世界のあり方に関わるという発想へ進みます。ヌーサイトを普通の病原体と同じように捉えるだけでは、終盤の展開がつながりません。
前半の変化は人間の身体の内部で起きますが、後半は身体を囲む世界の条件そのものへ広がります。思考宇宙は、その変化が向かう先を考えるための作中の概念です。
これはSFとして組み立てられた設定です。現実の量子力学が、考えた通りに物理法則を書き換えられることを証明している、という説明ではありません。作中の展開を理解するための理屈と、現実の科学的な実証は分けて読む必要があります。
題名の「ブラッド・ミュージック」とは?
文字どおりには「血の音楽」です。血液の中で生まれた知性と、その働きが、人間の内側から聞こえる声や交流へつながります。
細胞を、すべて宿主が支配する部品として見ると、身体の内部は一人の人間のものです。しかし、そこに別の知性が生まれると、一つの身体が多数の存在の世界になります。題名は、この内側の変化と響き合います。
こうした意味で、題名を、単なる病気の恐ろしさの呼び名ではなく、異なる知性が一つの世界を形作ることに関わる言葉として読めます。ここは題名と筋を結び付けた解釈です。
『幼年期の終わり』と似ていますか?
出版社も『幼年期の終わり』に並べて紹介しています。共通するのは、人類が現在の姿のままで未来へ進むとは限らないことです。
『幼年期の終わり』では、地球の外から来た存在と、人類全体の変化が前面に出ます。『ブラッド・ミュージック』では、人間自身の身体の中で作られた知性から始まります。似た問いを扱っていても、同じ登場人物や続きの物語ではありません。
短編と長編は同じ作品ですか? 受賞歴にも違いがあります
原型の短編は1983年、長編版は1985年に発表されています。同じ題名ですが、文庫一冊の長編を、そのまま1983年の短編として紹介することはできません。
また、ヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞したのは原型の短編です。作者本人の書誌では、長編版は両賞の候補となり、フランスのアポロ賞を受賞したと記されています。グレッグ・ベア公式サイトの経歴・書誌
「作者が両賞を受賞したこと」「短編が受賞したこと」「長編が受賞したこと」は、別の情報です。あらすじや結末を調べるときも、どの版を扱っているかを先に確認すると混同を避けられます。